取るに足らない小噺ブログ

クスリとしていただきたくしょうもない小噺を提供します。

フィルター

 この世界の多くの人が言葉を使うことができるようになり、それぞれの思いを主張することができる。とてもいいことなのだろう。コミュニケーションは、一方通行ではなく、様々な方向に向かうことができるようになった。そして、たくさんの情報が共有できるようになった。

 

 情報を言葉にして表すとき、その言葉を扱う担い手の意図が、意識的にあるいは無意識的に介在する。たとえば、ある理論を紹介するとき、専門的な言葉を削ったり、伝わりやすいと思う例えを使う場合がある。この場合、分かりやすくするために、分かりにくいと思う箇所を削るという作業が行われている。これにより、理論の第一人者の意図は、削られたり異なる解釈で広まっていったりする。

 

 分からないことだらけのものについて考えようとすると、手も足もでない。その際の取っ掛かりや突破口として、私は分かりやすいものを求める。そして分かりやすいと思うものを介して解釈し納得する。この際、気をつけなければならない。誰かが表現しているということは、その誰かというフィルターを通った情報だということを。分かりやすいということは、削られている何かがそこにあるのかもしれない。例えられているということは、本来のものとは違う解釈が混在しているのかもしれない。

 

 分かりやすいことは、必ずしもよいことではない。分かりやすいものだけを求めてしまう自分への忠告である。