取るに足らない小噺ブログ

クスリとしていただきたくしょうもない小噺を提供します。

登山について振り返る

 山の日ということで、登山に行こうと思いましたが、行っておりません。登山に関しては、東京に住んでいた頃、少しハマってちょこちょこと行っておりました。高尾山、筑波山男体山赤城山雲取山丹沢山、富士山、立山槍ヶ岳御嶽山、赤岳、木曽駒ヶ岳乾徳山妙義山荒船山をピークハントしました。そんなドシロウトが登山についてどう考えていたか記録しておきます。

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 なぜ登山に行くのでしょうかという問いに、マロリーは「そこに山があるから」と答えたそうですが、私なりの理由が二つあります。

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 山に登る道中、落ちたら死んでしまうようなところがあります。そこを通るとき、死を意識します。滑ったら死ぬだろうなと。すると普段仕事などで感じるストレスがちっぽけに思えるのです。この人が怒っても、山のように死にはしないと考えるわけです。

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 もう一つは達成感があるからです。登るのはしんどいですが、難易度の高いルートを通るわけではないので、頑張れば登れます。頂上に着いたら嬉しいものです。気分も上がります。つまり、ストレスへの耐性を上げ、喜びを噛み締めるために登山をしていたようです。

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 私には共に山を登ってくれる人がおらず、一人で登山をしておりました。登山時に考えていたことは、加藤文太郎の著書『単独行』を読むと、思い起こされます。この偉大な登山家ほど過酷な登山をしておりませんが、共感できる節は多々ありました。そして、この本を読むと、登山をしてよかったと思えるのです。

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 ニュースで、登山している人が遭難して亡くなられたというのを時々ききます。死ぬかもしれないのに、なぜ登山をしたがるのかは、私なりに勝手に想像し、自己解釈しております。関東の懐かしき山登りの日々でした。